明治時代では薄いゴムが使われた月経帯は輸入されていましたが、薄ゴムの国産化に成功した
大和真太郎によりビクトリヤ月経帯が1914(大正3)年に発売されました。
輸入月経帯は1円20銭、国産材料によるビクトリヤ月経帯の値段は70銭と、
輸入品の半値近くになりました。
ビクトリヤ発売の3年後に創刊した雑誌『主婦之友』は15銭でした。
ビクトリヤに続く新たな月経帯もみられるようになりました。
他社からも月経帯が発売されると広告も変わります。
「他品と比較遊ばせ」「在来の月経帯のいろいろの欠点を全部除去した完全無欠の品」
などの説明文は、月経帯そのものの必要性を伝えていた明治時代の広告とは様子が異なります。
ハイゼニック 『婦人世界』1913(大正2)年 第8巻第12号

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ビクトリヤ『婦人画報』1915(大正4)年 8月巻

「欧米婦人は誰彼の別なく、進歩せる月経帯を使用しております」

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ビクトリヤ『婦人世界』1920(大正9)年 第15巻第12号

「社会は進歩しました。最早や昔風の弊習は破らなければなりません」
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ビクトリヤ『主婦之友』1924(大正13)年 7月号


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エンゼル『婦人世界』1921(大正10)年 第16巻第11号

「他品と比較遊ばせ」「女学校御用品となりました」

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ローヤル『婦人世界』1921(大正10)年 第16巻第7号
 「在来の月経帯のいろいろの欠点を全部除去した完全無欠の品」

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乙女ふくろ『婦人世界』1920(大正9)年 第15巻第9号

「丸い やはらかな玉の中に吸い取る」タンポン式処置用品

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月経球『主婦之友』1924(大正13)年 7月号

「月経帯いらず」の意味は、詰める処置法(タンポン式)なら
脱脂綿を押さえるための月経帯(サニタリーショーツ)が不要の意。
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大正時代の生理の悩み
『主婦之友』には吉岡弥生による健康相談のページがあり生理の悩みも取り上げられています。
吉岡弥生は月経用婦人サルマタや、後に昭和に入ってからはメトロンバンドを考案した医師です。
相談内容は、月経時の下腹部痛について、出血の中に塊が出るなど生理の悩みの他に、
子どもの離乳食から肌の悩みまで多岐にわたっています。
この号では、12人の質問・相談に対して「気にかけないがよろしい」という答えは一つで、
残りの11の質問・相談のうち約半数は診察を促す回答です。
これらは「毎月山と積まれる質問のほんの一部に過ぎぬ」と添えられています。
『主婦之友』1921(大正10)年 8月号
「家庭衛生問答」

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最終更新日:2015年11月25日